前兆

 雄一は晴れた朝の静かなあぜ道が好きだ。澄んだ空気の中でそこに立っていると体がふっと軽くなるような感じがする。だから朝は学校に早く行く。でも今朝はそれでも一番乗りではなく、教室には綾子がいた。とにかく誰かがいればよかった。綾子は自分の席でうつむき加減に長い髪を垂らし、分厚い本を読んでいた。

 いつもなら綾子に話しかける事なんてない。綾子は皆に言わせれば「変なやつ」で、その子と話したら自分も「変なやつ」だ。小学校5年生というのはそんなものだ。それだけの理由で雄一は、綾子に一度も話しかけた事がなかった。でも今朝は教室には他に誰もいないし大丈夫だろう。そして何より雄一はともかく誰でもいいから、今朝庭の池のふちに座って見たものを話したくて仕方なかった。


「なあ、俺すごい雲見たんだ。地震雲だと思う」

 勇気を出して唐突に雄一が言うと、綾子は顔を上げて大きな目で彼を見た。覗き込まれてどきりとした。

「どっちの方角に?」

 綾子はゆっくりと言った。なんだかすごい会話をしてしまっているような気がして、雄一は少しまごついた。しかも話を続けてくれるにしても最初は「本当?」とか言うと思っていたから、いきなり方角を聞かれて余計に戸惑った。目が泳ぐのがわかる。

「えーっと、家の反対側の、太陽の出てくる方だから」

「東ね。光ってた?」

「うん。ぐわーって竜巻みたいのがオレンジ色で、すげえってしばらく見てたらすうって消えて、それって地震雲だってテレビで」

「それは地震雲じゃなくて、竜の子供」


 今朝雄一は赤く輝く奇妙な雲を見た。だが雲はすぐ消えてしまい、大変なものを見たんだという興奮と、すっきりしない気持ちが残った。その後しばらくして地震雲というのを思い出したのだ。そしてやっと話したい事が話せると思って一気にしゃべりだしたのに、雄一は綾子の言葉にまた混乱した。竜の子供?

「竜は百年に一回子供を産むの。その前に子供の魂が天のお母さんのところにのぼって行くの」

 意味が分からない。雄一がきょとんとしていると、弘樹が教室に入ってきた。綾子と話しているところなど弘樹には絶対見られたくない。雄一は「そっか」とだけ小さく言って、綾子の机から離れた。


 その夜、雄一は綾子と一緒に竜の子供の背中にしがみついて朝焼けの空を飛び回る夢を見た。澄んだ朝の空気を上空で吸うのは気持ちがよくて、大好きだ。体がふっと軽くなる。やがて太陽が上り始めた。


* * *


 短編第45期(2006年4月)投稿。

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