『罪と罰』 ドストエフスキー

いやあ、この小説、ヤバいですね。二回目の通読でしたが、相当なものがぶつかってきます。後半なんて、読んでいると本当に、ラスコーリニコフと一緒に熱病におかされているみたいになってくるのです。

すごい小説になればなるほど、ここに書く事が浮かばなくなります。でもがんばって書こうと思います

月並みな事ですが、この小説は全体でひとつの世界を作っているし、そしてその中の登場人物たちが全員彼らの世界を作っている、と、そういう風に感じます。
今更言うまでもなく、登場人物が本当に魅力的です。ラスコーリニコフにはもちろん彼の世界があり(彼の世界がこの小説で中心に描かれているわけですが)、 ソーニャには彼女の世界があり、ドゥーネチカもラズミーヒンもスヴィドリガイロフもポルフィーリイもカテリーナ・イワーノヴナもピョートル・ペトローヴィ チも……彼らの世界をもっています。そしてその世界ひとつひとつが、もうなんというか、読ませる読ませる。引き込みます。
そして思想です。彼らは世界を持ち、そして思想をもっている。

あともうひとつ、この作品をロシア語で読めないのが非常に悔やまれます。僕が読んだのは「罪と罰 ドストエフスキー作 工藤精一郎訳」であって、「Федор Михайлович Достоевский. Преступление и наказание」ではない、というか……。
つまり、文学にしろなんにしろ、元々の言語とか文化から切り離してしまったらもはやその芸術性は変質してしまう、という考え方からだ、と言ってしまうと単 純ですが……まあでも、そういう事ですね。やっぱり原語でなければその作品の本当の世界は感じ取れないでしょうし。(この作品が口述筆記で書かれたらしい 事を考えたとしても)

まだあと何回でも読みたい小説です。今まで衝撃的だった小説ランキング世界編、暫定一位です。

拳銃の神様

 男が僕に拳銃を向けていた。

「な、なんですか」

「拳銃の神様だ。いいから入れなさい」と男がマスク越しに言う。

 マスクだけじゃない。サングラスにグレーのハンチング帽、服は背広の上にコートで黒ずくめ、危ない匂いがぷんぷんする。確認もせずにドアを開けたのを後悔しても遅い。

「え、いや、神様? 拳銃?」

 ずしりと重そうな拳銃を前にして、もうほとんど腰を抜かしている僕を半ば押しのけ、男は家の中へ入った。薄汚れた畳にどっかと腰を下ろし、早くもその空間になじんでいる。正直、こんなのになじまれたのが悔しい。

「まあ君も座れ」と自称拳銃の神様は言った。


 男は、とりあえず出してみたオレンジジュースを飲んだ。出しといて言うのもあれだが良い年してなっちゃんをそんなおいしそうに飲むな。

「それで、あなたは、その……」

「拳銃の神様だ」

「拳銃にも神様が?」

「ああ、何にでも神様がいる」

 男は白いハンカチで口を拭き、マスクをつけ直す。花粉症用の“超立体”のようだ。それ、今の季節売ってるんだ。やがて彼は黒っぽい布で拳銃を磨き始めた。


「拳銃の神様って何をしてるんですか?」こう見えて僕は沈黙に弱い。

「拳銃の普及の推進だ」


 神様との一問一答と短い沈黙との繰り返しは、しばらく続いた。結果、神様の趣味とか家族構成とかが分かったけど、僕は次の質問を考えるのに精一杯で、聞いた事は片っ端から忘れていった。元々汚れていたようにも見えなかったのに、拳銃はどんどん鈍い輝きを増していった。えーと、あれはワルサーってやつかな。ドイツ製?


「それで、どうして拳銃の神様が?」

「ああ、この拳銃を、お前に」神様はサングラス越しに上目使いに僕の方を見て、拳銃をかすかに持ち上げる。

 ワルサー(推定)が鈍く光る。全然その気はないのに、誘惑されているような気がする。

「そ、そんなとんでもない。僕いりませんよ、拳銃なんて」


 まずかったかな、とすぐ思って、そっと神様の顔色をうかがった。彼は一瞬悲しそうな目になったが、すぐに神様に戻って「そうか」と言った。


 神様は立ち上がり、帽子をかぶり、ワルサー(推定)もコートの内ポケットにしまった。この格好でそんなとこに拳銃隠してるのは相当まずいと思う。

「突然すまなかった」

「いえいえ、とんでもないです」

 古いアパートのドアを開け、冬の曇り空へと出て行く神様の背中は、なんだか悲しげだった。いや、それでも拳銃は貰えないよなぁ。


* * *


 短編第64期(2008年1月)投稿。