横断者

 スクランブル交差点では、歩行者信号が青になっている時間が普通より長い気がする。スクランブルだと歩行者にとっては青になるまでに時間がかかるからだろうか。だが、「長い間待たせたので、渡る時間も長くしました」と言われて歩行者の持ち時間が長くなっても、そう嬉しく感じない。

 そんな事を考えながら待っていたので、歩行者信号が青に変わった事に一瞬気づかなかった。僕は駅の出口から銀行側へ、スクランブル交差点を斜めに渡ろうとしている。歩行者の持ち時間が長くても、その分が僕自身の人生の時間に上乗せされるわけではない。僕は時間の浪費を避けようと、冬の暖かな日差しの中を歩き出した。

 アルファルト上に二歩目をついたとき、四方から交差点に流れ込んだ群れの中に一人の男の姿が見えた。あ、と僕は声をあげそうになった。

 そこに横断者がいたのだ。

 男は猫背気味にうつむいて、肩をかくかくさせて不自然に大きく腕を振り、足は膝の関節をあまり曲げずにきびきびと、こっちに向って横断を続けていた。濃い緑のズボンとセーターを着ている。本当に横断者だ。本当にいたんだ。

 歩行者信号をもう一度見ようとしたが、青信号はぼんやりしていてよく見えない。緑色が光っている事は分かるのだが、彼の姿はつかめない。はっとした。あそこから抜け出したんだ。なぜ?


 人の流れに乗ると、逆らうのは難しい。気付くと横断者は僕の前に迫っている。スクランブル交差点の中央。駅前の百貨店のビルが空を裂き、しかし太陽は輝いている。スカイスクレイパ―。よく言ったものだ。意味を持たない他者たちが周りを流れて行く。僕と横断者以外は、ここではエキストラ、虚ろな人々。その濃い霧の中で、僕は進む方向を半ば失っていながら、進み続けるほかない。

 横断者は目の前で立ち止まった。僕はこのまますれ違うかと思った。だが目の前で立ち止まられてしまったら僕も立ち止まるほかない。横断者は眼鏡をかけていた。近くで見ると余計に猫背に見えた。かがんだまま顔を僕の方にむっくりと上げて、少し疲れたにやけ顔で言った。やつれた顔は緑っぽい。

「交代の時間です」


 ここでは僕の先輩で、頭上につったっている停止者が教えてくれた所によれば、この仕事は大体一ヶ月ほどの任期をもって交代しているらしい。交代相手は自然に決まるのだという。まだ君の方が体動かせる分楽だよ、と毎日のように愚痴られる。任期は三週間残っている。


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 短編第65期(2008年2月)投稿。