『カラマーゾフの兄弟』 ドストエフスキー

長かったですが、ついに。
長かったと言っても読むのにかかっていた時間が長かっただけで、内容の感じでは長いという感じは全然しなかったですし、むしろこれだけのものならまだまだ読めるぞ、という気がします。

やっぱりこの小説はすごいですね……。相変わらず、登場人物一人一人の持っている思想や世界が濃いです。そして、彼ら一人一人の中の心の側面一つ一つが見 えてくる。人間が絶対持っている矛盾とか葛藤みたいな物が何度も何度も描かれてますし、ドストエフスキーが人生かけてるのがよくわかります。
罪 と罰を読んだ時も思いましたけど、含んでいるテーマの量もとても多いです。明確な一つのテーマに絞って書かれた小説は、分かりやすいとは思いますが、明確 な一つのテーマに絞って人生を生きる事が出来ない以上、しょせん小説なんだと思います。でもカラマーゾフは、神や教会の問題から、信仰、生死、国家、貧 困、恋愛、そしてもちろん親子、兄弟等、テーマを含みすぎてて大変な事になっています。
さらには、さんざん言われている事ですが、ものすごく鋭い部分が多分にあって(『大審問官』しかり)、書かれてから100年以上たっているとは思えません。まさに『現代の予言書』。

あとがきを読むまで、この作品が(本来は)未完の作品であるという事は知らなかったです。第二部を読みたい気持ちもありますが、確かにこれはもう「およそ続編というようなものがまったく考えられぬほど完璧な作品」ですし、これで良いのかもしれません。

思想的にはイワンが、キャラクター的にはアリョーシャが好きです。キャラ的にはリーザも良かったんですがあんまり登場しなかったのであれ。

何回も読み返したいです。「世界文学の傑作の一つ」に同意。

血流

 若い娘の血はうまい。でももう選んでなどいられなかった。血が騒ぐのだ。ともかく吸わなければならない。目覚めたときから頭が痛く、立ち上がって動く事ももう出来ない。気が狂いそうだ、いや、既に狂っているのか。左腕はすっかり噛み尽くし、手首には骨が覗いている。赤が白の表面をすべっている。まだ滑らかな右の二の腕に噛み付いて、吸う。

 そこら中が赤く染められた蒲団の中で、不気味に白い天井を見上げ、俺は、濃くなった吸血鬼の血を吸い続けていた。




 夜のJRで見かけた、おとなしそうな女子高生に目を付けた。やや長い紺のスカート、白いブラウスに白のセーター、手には文庫本、幼くて素直そうな口元、小さめの眼鏡、ぱっちりした目、肩にかかる黒髪。こういう大人ではなく子供でもないのが、一番うまい。人影もまばらなプラットフォームの闇。虚ろに赤い電光掲示板を過ぎ、白く輝く自販機の前を過ぎ、彼女の後を追って階段を降りる。彼女のうなじが目に入り、唾液がもうどうにも止まらなくなる。これはうまそうだ。吸血鬼の血。騒いでいる。早く噛み付くんだ。


 やはり若い娘の血はうまい。吸血体質になってからもう長いが、女子高生の血が一番うまい。成熟し始めた身体のとろりとした甘い血の味は、吸うともう忘れられない。吸血因子の逆流入は俺にとって憎むべき悪運だったが、しかしこの味が楽しめるのはその呪いのおかげなのだ。運命を完全には憎みきれない。それくらいうまい。これもまた、呪いなのだ。


 生温い六月の風。街灯が照らし忘れた路地裏。襲いかかり、ブラウスとセーターを引き剥がしはだけさせ、後ろから肩に噛み付く。顔を殴って暴れるのをやめさせる。若い娘の血を吸うときは鎖骨に噛み付く。それが一番うまい。柔らかく弾力のある肌にゆっくりと牙を差し込んでゆく。彼女の体が震える。甘い肉に牙が分け入り、とろとろの血を舌がすくう。香りが口の中に広がる。苦悶の声がきこえてくる。俺には悦びの声にきこえる。頭に血が上る。世界が白熱し、赤熱し、暗転する。これが一番うまい、うまい、うまい。






 吸血鬼の血は一旦は静まった。頭がくらくらする。

 へたり込んだ女子高生が、後ろから、吐き捨てるように言う。

「馬鹿みたい」

 振り返ると彼女は、電車の中の姿からは想像できなかった、蔑むような嫌悪を目と口元に浮かべ、尖った歯を見せていた。飛び散った血がセーターになにか描いている。俺は口元を拭う。


* * *


 短編第68期(2008年5月)投稿。