『おれに関する噂』 筒井康隆

やられました。
一番最初に、「蝶」という短編小説が入っていて、これは文庫本見開き一ベージに収まるくらいの短いショートショートで、多分 1500字もない作品なんですが、これがやばい。ちょっと衝撃的でした。正直、筒井康隆がこんなの書く人だと思ってませんでした。1000とか2000く らいの文字数で小説をかこうとした時の、一つの目指す方向としてこの作品は際立ってるなぁと思いました。何言ってるのか分かんないですね。でもともかく衝 撃が大きかったです。それだけで星5つにしてしまおう。こんな事だから星付けが甘いんですかね。

後の作品は、まあ面白かったんですが、やっぱり「蝶」の衝撃がでか過ぎてかすんでしまっていました。強いてあげるなら「だばだば杉」と「通いの軍隊」が面白かったです。でもこれくらいの長さになってくると、中盤で十分面白いがためにオチが弱く感じられてしまいますね。

『半分の月がのぼる空』 橋本紡

ラノベ読んでここに感想書く事を想定していなかったので星のつけようが無いんですが……。今までラノベ読んでもここには書いていなかったので。普通の小説とラノベじゃあ読み方も違うし評価の基準も違うよなぁ。
けどじゃあ普通の小説とラノベの境って何なんでしょうね。普段僕は便宜的に出版社(というか文庫の種類? レーベル?)で線を引いてしまいますが、実際、 内容で見れば新潮文庫にだってラノベっぽい作品はあるし(あくまで内容がって意味ですよ!)、講談社文庫にも集英社文庫にも角川文庫(普通の方)にも「こ れラノベだろ」みたいな作品はいっぱいあるわけで、そうするとラノベって何なんでしょうね。
今Wikipediaで引いたら、案の定「ライトノベルの定義論争」っていうのがありました。まあこの辺は定義できないんでしょうね。あ、でも挿絵に関しての定義は割と具体的な線引きかもしれない。
あとこんな事も書いてありました。『これらの混乱は、読者の大部分が個々の作品や作家のファンでしかなく、ジャンルとしての「ライトノベル」に関心を寄せているわけではないということにも由来する。』……なるほど。

で、なんでラノベなのに読感を書く事にしたかというと、単純に面白かった(『ラノベに限っての』星付けなら文句無しで星5つ付けます)というのと、もう一つ作品の本筋と全然関係ない事を書きたかったからです。まあほとんどが後者です。

それでも内容についての感想を一応書きますと、まず小夜子さんがとてもいい、それからファンタジー的な病院の書き方がうまい、あと小夜子さんがすばらし い、それと親父さんの回想シーンの使い方がありきたりだけどうまい、それから小夜子さんが非常にツボ、あと亜希子さんがかっこいい、小夜子さんが神、文学 ネタとかプロレスネタとか写真ネタとか伊勢ネタとか微妙に色々入れてくるのが面白い、小夜子さんが神、小夜子さんが神、小夜子さんが神、……。
と、まあラノベの感想を書くと好きなキャラ話に終始してしまって非常につまらない事が改めて確認されたので、以降この読感でラノベの感想は再び自粛します ね。あ、じゃあ『感想を語ろうとした時に好きなキャラの話題に行ってしまう小説』がラノベでいいんじゃないんですか? でもそれは最近のラノベがキャラ萌 え文化に取り込まれたからとも言えるし微妙か……?

さて、本題です。
僕が何の話をしたかったのかというと、小説とかラノベとか、あるいは映画でもドラマでもアニメでも漫画でも良いんですが、そういう物語とかお話の中での『方言について』です。

この作品の舞台は伊勢で、伊勢というと基本的には関西弁のエリアです。昔は伊勢弁というのもあった、という話をたまたま最近聞いたりもしましたが(語尾の「~けつかる」とか)、基本的には関西弁がベースなはず。
しかしまあ、もちろんというかなんというか、登場人物たちは(大半が伊勢生まれ伊勢育ちのはずだけど)標準語で話しています。

ちなみに僕は、この事に対して違和感を感じるとか、おかしいと思うとか、リアリティにかけてて最悪とか、標準語至上主義で方言を認めない明治の悪しき文化 圧殺政策の名残だとか、そういう事を言うつもりは全くないです。まあそういうもんだと思うし、あるいは翻訳済みなんだと思って受け止めるので全然問題あり ません。素直にイメージを重視します。

一般の小説でもそういうのはよくありますよね。今ちょっと例がぽんと出て来ないんですが。地の文は良いとしても、会話文で口調とか口癖の要素はあるのに方言の要素は大抵は除去されてますよね。とくに登場人物の過半数が方言を話しているはずの場合に。

例がないので、代わりに僕の母親がかつて言っていた事を書いてみたいと思います。僕の母は村上春樹があんまり好きじゃなくて、彼の事をこんな風にちゃかして言ってました。
「大 体村上春樹がな、神戸から東京へ出てきて銀座線に乗るやろ、それで昔の地下鉄やったから線路のなんかが切り替わる時にちょっと電車の中の電気が消えるんを 見てやな、『どうして電気が消えるのだろう』って思うわけあるか? 『なんでこれ電気消えんねやろ』ってホンマは思うたに決まってるやろ。それをなんか かっこ付けてやな標準語で書こうっちゅうのが(ry」
ちなみにその話は村上春樹のエッセイのネタのはずです。(ちょっと話が脇道にそれますが、 僕の心内語は基本的には標準語です。それが母親からすると信じられないらしい。家庭内で大阪弁で話していても、学校とかでは標準語を話しているバイリンガ ルな僕としては、自我形成のメインが外の社会で行われるんだから当たり前じゃないかと言いたいのですが、まあ納得いかないみたいです)

そういう、『本来設定からして方言がしゃべられていてしかるべき状況だが標準語で書かれて/話されている』という事はなぜ起こるんでしょうか。考えられる 理由としては、単に読みにくいから、印象がキツい(方言に対して多くの人が先入観がある)から、っていうのが最有力でしょうね。当たり前か。当たり前だ。

でもなんでそんな当たり前な事を改めて思ったかというと、この「半月」が結構伊勢を押し出してきたからなんですよね。現実の伊勢とは若干違って、あくまで 作者の思い出の中の伊勢なんだという事にはなってますが、実在する場所が出てきたり、赤福の話とか伊勢うどんの話とかが出てきたりして、そうとう伊勢とい う土地を見せてきてるんです。単純に設定上の地名っていうだけじゃないんです。
そうすると、ここからが僕の妄想なんですが、作者の橋本さんはも しかしたら方言ネタもやりたかったのではないだろうか、とこう思うわけです。「お前伊勢に住んでるのに赤福も食った事無いのか?」とかって台詞が出てきた ような気がしますが、「お前伊勢に住んどるのに○○(方言)って分からんのか?」とかって感じで方言を紹介しちゃったりするようなネタも出来たはずで、と いうか実はやりたかったんじゃないんですか橋本さん?
まああくまで僕の妄想なんですけどね。でももし本当にそうだとしたら、橋本さんはちょっとしたジレンマを抱えたんじゃないかなぁと思いました。それでこんな事を長々と書こうと思った次第です。

ちなみに女の子の方言としては北海道と広島を押したい。

自己責任

 このごろの季節は日が落ちるのも早くなり、もう空は真っ暗である。男の子は塾からの帰りで、一人夜道を歩いていた。まだ半袖で通している男の子には、少し肌寒い。この長い坂道を上りきれば家につく。さあ、早くおうちに帰らなきゃ。


 突然、男の子の背後で、バシッ、と鞭で地面を叩くような音がした。驚いて男の子は振り返る。すると、後ろに、包丁を持った男が立っていた。ギラギラした目、包丁を持ちかすかに震える手、一目で危険と分かるような男だ。突然の事で、男の子は足がすくんでしまい、後ずさろうとするも転んでしまう。口を開けても声は出ない。


 道の反対側で、バシッ、と音がした。男の子と男は音の方を向く。すると、銃を持った男が立っていた。包丁の男と同じ、黒いテカテカした服を着ている。持っているのはゲームに出てきそうな細い銀色の銃だ。銃の男は、包丁の男に銃を向けた。包丁の男は、それに驚くと、一目散に坂道を駆け下り逃げて行った。


 包丁の男が角を曲がって消えて行き、あたりが静かになった。男の子は、助かったと思った。しかし今度は、銃の男がにやりと笑って、銃を男の子に向けてきた。包丁が銃に変わったのでは、状況が悪くなっただけだ。


 バシッ、と、今度は銃の男の向こう側で音がした。直後、キンという人工的な音が響いて、銃の男がふらつき、スローモーションでドサリと崩れ落ちた。倒れた男をまたいで、また別の、テカテカした青い服を着た男が現れた。

「あ、いや、眠らせただけだよ。お前、怪我は無いか?」

 男の子は怪我はしていなかった。青い服の男が助け起こしてくれた。

「お前なぁ、ホント俺ってやつは本当にとんでもない事をしてくれるよ」

 そう言って青い服の男は、何やら携帯電話のような黒い装置を取り出して、倒れた男の体にあてがった。と、次の瞬間には倒れた男の体はバシッという音とともに消え去っていた。青い服の男はポケットから取り出した、既に火のついた銀色の煙草をくわえて、話し始めた。

「今から十五年後だけどな、お前とんでもない事思いついちゃうんだよ。まあ禁止されたらしたくなるってのは今でも自分の事のように分かるけどな、これが後々面倒なんだ。なんだって過去に戻って過去の自分を」


 そこまで言ったところで、バシッという音がして、男は消えてしまった。煙草の煙も消えた。男の子は、忘れていた肌寒さが戻ってきて、身震いした。はやくおうちにかえらなきゃ。


* * *


 短編第69期(2008年6月)投稿。