『哀れなリーザ』 カラムジン

教授(ロシア文学)の紹介で。
まず語り手(私)=作家の構図っていうか形を使うことによって、一応主人公をリーザにしつつもエラスト側の情報も書けるわけですね。
さらに、リーザ視点で書いてしまうとどうしても「リーザに対する感情移入」を誘う形になり、そこから「読み手=リーザの悲しさ(作中のリーザの心内語の内 容の悲しさ)」を誘発するわけですが、作者の狙っているのは「読み手→リーザの悲しさ(作中の語り手=作家の書いている悲しさ)」ですから、リーザを外か ら見れる語り手=作家の手法はその点うまく使われていると思います。
ちょっと教授が言っていたこととは違うわけだけど、僕が考えたのはこういうことでした。

前どっかに書いた「最近のラブコメは主人公に感情移入させない」みたいなのと若干通じないでもない。そうするとロシア文学はやっぱり日本文学っていうか日本文化の大分先を行っていると言えないこともある。さすがに強引すぎる。

あとはなんか処女信仰っていうか清純じゃなきゃダメみたいな宗教的力が強く感じられますね。時代でしょうか。

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