夜を説く

 部屋に来てからすぐ、小夜は言いました。

「私作家になる」

 眠そうな青い瞳がきれいです。

「小説を書くの」

 既に二日という長い間、小夜は僕のアパートで暮らしています。明日を思うと恐ろしいですが、最近では考えないようにしています。未来のことを頭から追い出して、小夜に抱きしめてもらえば、僕も眠れるのです。それを覚えてから、逃げてばかりです。

 午前三時に大学で現代性交概論の講義を聞いていましたが、流星群が酷くなってきました。老教授が、もうやめにするから帰りなさいと言いました。生徒は僕一人。金平糖の降る中、歩いて家に帰ると、小夜はラップトップをひざにのせ、くちびるをキーボードに押しあてています。

「いくら打ちやすいからってそれ汚いよ」

 画面をのぞくと小説が天河のように広がっています。

「書いても書いても足りない」

 小夜は顔を上げず、またキーボードにキスの雨を降らせました。吸い寄せられるようなそのうなじから常習者特有のにおいがして、僕は驚きました。一方未完成の小説は、エクセルの画面で窮屈そうに身をくねらせています。その無数の瞳の一つと目があったような気がしてなりません。小夜の肩にかかる髪をなでました。

「邪魔しないで」

 小夜は眠りもせず書き続けました。自分のすべてを、小説で表現したいのだそうです。自分を表現しないために書く僕とは対照的で、皮肉ですね。僕はこうして文字を並べ、自分を守る壁を作ります。知られるのが怖いから。わかった顔をされたくないから。小夜は違います。自分が小説になろうとしているのです。読んでもらい、触れてもらおうとしているのです。僕は少し情けなくなりました。

 四日後部屋に戻ると、小夜は消えていました。床で、衣服とラップトップだけが月光浴をしています。砂か水くらい落ちていてもいいと思いましたが、残らず小説の文字になってしまったようです。

「書けたでしょう」

 確かに立派です。僕はジーンズや下着を脇に押しやって、Tシャツだけラップトップに着せてやりました。

「ちょっと変態っぽい」

 だって硬い筐体をそのまま抱きしめるのは気が引けたのです。ベッドにもぐりこみ、小説のふわふわした胸に顔をうずめ、その指先のぬくもりを感じながら目を閉じました。今なら少しは、僕にも良い小夜が書けるかもしれない。抱かれているとそう思えるのです。

 ああ。今夜は久しぶりに眠れそうです。あなたもそうじゃありませんか?


* * *


 短編第86期(2009年11月)投稿。

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