夢のなかでも意識を保て 『みたい夢をみる方法―明晰夢の技術』

 Charles Mcphee著・石垣達也訳『みたい夢をみる方法―明晰夢の技術』の感想です。

Stop Sleeping Through Your Dreams

まずはじめに、本書のタイトルとその内容について触れる必要があると思います。『みたい夢をみる方法―明晰夢の技術』というのは、この手のポピュラーサイエンス的な翻訳ものに付けられがちな、原題よりも多少誇張された、いわば「釣りタイトル」的なところがあります。原題は”Stop Sleeping Through Your Dreams”となっており、まあかけ離れているとまでは言いませんが、ニュアンスは違います。

本書の前半では、まず夢のメカニズムについて説明。脳波研究などの科学的な研究の歴史を紹介すると共に、それによってダメージを受けたフロイト学派についても述べています。類書では読んだことのないテーマで、個人的に興味を惹かれたので、少し要約しておきます。

脳波を研究することで、寝ている人が「いま、夢を見ている」ということを外部からモニターすることが可能になったわけですが、これがフロイト学派が常識として扱ってきたいくつかの事柄を崩壊させてしまいました。フロイト学派は夢をみる時間の長さは各人の心理的必要性に応じて決まる、たとえば気分が落ち込んでいる人は鬱積した欲求不満の放出を求める無意識の働きにより多くの夢を見る、と考えていました。しかし、脳波を測定してみれば、あらゆる人は、その心理的状態にかかわりなく、一晩に約100分ずつ夢を見ていることが明らかになったのです。さらには、研究者たちは「うつ病患者に夢をみさせない」という実験を行いました。脳波や眼球運動が夢をみはじめたことを示したら、うつ病患者を起こしてしまうのです。この「夢剥奪」実験は、フロイト学派の考えに従えば、うつ病患者に深刻な影響を及ぼすはずです。夢は欲求不満や心理的緊張を緩和するための安全弁のような役割を果たしているはずだからです。ところが、実験の結果、70%の患者の症状が改善してしまいました。もっといえば、動物も(温血動物は)夢をみていることが明らかになりました。さて、サイはエディプス期の緊張から解放され、トラはイドと超自我との激しい葛藤を解決するのでしょうか……?

 

「意識」のある夢

中盤にして、邦訳タイトルにもある「明晰夢」に話題がうつります。しかしそもそも、明晰夢というのがなんだか知っている人というのはどれくらいいるのでしょうか。本書では明晰夢は「意識を持って夢をみている状態」というような定義になっているようです。これでは曖昧なので、「意識」の定義が必要となります。実はこの「意識」の定義がこの本で一番おもしろく感じた部分です。詳しくは次節で。

wikipediaでは「睡眠中にみる夢のうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢」と定義されており、こちらのほうが簡単な説明には向いています。夢をみているとき、ふつう私たちはそれが夢だとは気づいていません。どんなに不自然な、ナンセンスな、常軌を逸した出来事が起きても、夢のなかではなんとなくそれを受け入れ、まさかこの世界が夢なのではとは思いません。僕が今朝みた夢では自分のベッドの左側にシフトレバーがあって、足元にアクセルとブレーキのペダルがあって、寝る前はちゃんとサイドブレーキを……とか考えていたのですが、そんな異常な世界でも、ふつうは夢だとは気づきません。

明晰夢とは逆に「これが夢である」と気付いている状態です。インターネット上では、しばしば幽体離脱というオカルト色のある名前で呼ばれたり「うはwww二次元キャラとセクロスwww」みたいな感じで紹介されたりするがために、胡散臭いというイメージが先行しているかも知れませんが、別に胡散臭いものではありません。まぁ、明晰夢をオカルト色の強いものとして扱いたがる人が多いのは事実ですが(なにしろ夢というのは神秘的なものですからね)、たとえばあの天才物理学者のファインマンもエッセイの中で明晰夢について語っていたりします。いやまぁ、科学者がオカルトに傾倒してたりするの、意外によくあったりしますけど……。ファインマンの場合はそうではないと思います。なお、明晰夢が実在することは科学的な研究によって(ある程度は)確かめられています。本書ではあまり詳しくは書かれていませんでしたが、たとえば「明晰夢に入ったら(=夢だと気付いたら)、左右を二回見る」というような合図を決めて練習させ、実験室で眼球運動を測定する装置を付けた状態で被験者を眠らせ、眼球運動による合図で「いま、被験者が明晰夢をみている」ことを明らかにした実験があります。とはいえ、夢というのがかなり主観的な体験である以上、厳密に証明するのはまだまだ難しいでしょう。

 

そもそも「意識」とは何か

さて、本書では明晰夢を「意識のある夢」としています。しかし「意識」という言葉の日常的な定義はかなりあいまいです。確かにふつうの夢のなかで私たちは「それが夢だとは気づいていない」という意味において通常とは違う状態にあります。とはいえ、夢のなかでもものを考えることはできるし、感覚は時に恐ろしいほどリアルです。普通の夢で私たちには「意識」がないのでしょうか?

この問にノーと答えるために、本書はやや特殊な、しかし説得力のある「意識」の定義を採用します。「意識は二元性をもっている。つまり、感覚を体験することができる能力であるとともに、その感覚を体験している自分自身を体験する能力でもあるということだ。」 しばしば私たちは意識について語るとき、「何かをしている/感じている自分」と、「それを後ろから(上から)みている自分」という意識の二元性を発見します。この後者の部分を本書では特に「意識」と言い、二元性が失われ、前者のみの状態であれば「意識がない」と表現するのです。この二分法自体はよく言われることですが、なるほど夢について考えるときにこの定義が活用できるとは考えたことがありませんでした。夢をみているとき、私たちに「意識」はありません。すなわち、私たちはそこで行動することができるし、感覚も持っています。しかし、それらをよりメタな次元から観察することはできません。そこには自発的な流れだけがあり、内省的な流れが存在しません。その意味で夢をみている私たちは「思考の一元化」を起こしており、「意識」を持っていないのです。明晰夢ではそうではありません。私たちは「意識」を持っており、「いま見ている夢」を上から観察することができ、そうだからこそ夢が夢であることに気付いているのです。

この定義は画期的です。というのも、明晰夢を見るための練習方法を提案してくれるからです。考えてみれば、この定義でいけば私たちは起きている間にも常に「意識」を持っているとは言えません。たとえば家を出てから職場や学校につくまでの間、「意識」を保っている人が一体どれだけいるでしょうか。多くの人は、ただ無意識による「自発的な流れ」に身を任せ、決まったルーチンにそって通勤・通学します。「JRから地下鉄に乗り換えようと階段を降りている自分」を発見することは稀でしょう。しかし、そういった日常の無意識の行動の中で「意識」を保とうと努力することが、夢のなかで「意識」を回復できる可能性を高めるかもしれません。これはやってみるとかなり難しいですが、効果がありそうに思えます。よく、「手を見る癖を付ける」というのが明晰夢をみやすくする方法として語られますが、これも結局手を見ることで「手を見ている自分」を発見し、意識を呼び覚まそうとしているのだと思われます。むしろ、手を見ることが癖になって無意識で行われるところまでいってしまえば、この方法は役に立たなくなるでしょう。

 

意識の高い夢見人

と、ここまで本書の内容を肯定的に紹介してきたのですが、終盤本書は悪い意味で予想を裏切ります。終盤の本書には「どうやって洗練された明晰夢をみるか」、また、そもそも明晰夢から再び離れて抑圧という心理メカニズムについて紹介したり、夢判断的な解説を展開したりと、かなり精神分析寄りな考察へと進んでいきます。僕はてっきり序盤でフロイトが打倒されたのかと思っていたので、すこし残念に感じました。

個人的には、フロイトや精神分析は一つの時代を築いた人間観としての価値は大いにあると思いますし、文学に取り込むのもなかなかおもしろいと思う一方で、当然あれは科学たりえず、臨床に用いることに関しても信用出来ないと思っています。まあ夢は個人的・主観的な体験なので、どういうパラダイムでそれを楽しむのもよいとは思うので、本書がそういった内容を扱うこと自体は別に良いのですが。

ただ、「自分の無意識の世界と注意深く相互作用する時間を持ち、それを検討し、夢の中で起こるいかなる出来事にも反応する能力を向上させ、自分の夢から学び、それを理解しようと努力」とか書いてあると、なんだか「意識が高い」なぁと思ってしまいました。明晰夢ってそこまで重大に考えるべきものなのでしょうか。それに「明晰夢体験の初期の段階では(中略)性行為や空中飛行に集中する。これについては、何人かの夢の研究者も同じ指摘をしている。しかし、洗練された明晰夢を見るには、」などと、空中浮遊を微妙にdisっている点がいただけません。僕の場合は、空中浮遊が無かったら何のために明晰夢をみるのか、と思ってしまいます。

 

明晰夢の技術

最初にタイトルが釣り気味であると書いた通り、「明晰夢の技術」なんてものは本書にはあまり登場しません。個人的には、「意識」の定義と、そこから導き出される明晰夢をみるための練習法にはかなりの価値がありましたが、そもそもこれに感覚的に納得がいくのはある程度明晰夢の経験があるからなのかも知れません(ちなみに、あの練習法を実施するつもりはありません。単に意識と夢について考えるのに面白い題材だったというだけです)。こんなタイトルの本だと、明晰夢を見たことがない人が、明晰夢を見るためにはどうしたらいいんだ、と思って手に取るケースが多いかと思われますが、はっきり言ってそういう人に役に立ちそうな情報は書かれていません。一応「明晰夢を見るための初歩的過程の五つの認識段階」とか書いてあるのですが、「(1)無意識の心に気づく (2)無意識の心を熟知する (3)無意識をパートナーとする (4)自我と無意識の関係を受け入れる (5)意識のメカニズムを学ぶ」という内容があるのかないのかわからないことが書いてあったりするので、ハウツー本としてはおすすめできません。しかし、自分の意識について考えるのが好きな自意識こじらせ勢や、ある程度の明晰夢経験がある人に対しては一読をおすすめします。