『ジム・スマイリーの跳び蛙: マーク・トウェイン傑作選』 Mark Twain 柴田元幸 訳

 何かの資料として必要だったので買ってその部分読んで、結局資料としては必要なくなったので積んであったが、せっかくなので他の話も読んだ。

 基本与太話方面なのに唐突にシリアスなやつが入ってくるのずるすぎるでしょ。 『ワシントン将軍の黒人従者――伝記的素描』とか『私の農業新聞作り』でじわじわ来ているところに『本当の話――一語一句聞いたとおり』みたいなのが投げ込まれてもどう反応したら良いのかわからん。『フェニモア・クーパーの文学的犯罪』の法則を全部破る下りが好き。

『北の海』 井上靖

 突然これを、しかも一応三部作の第三部であるのにいきなり読んだのには深いわけがあり、いや特に無いが、面白かった。別にこれから読んでも問題ないと思います。誰向けの情報? というか新聞小説なんて途中から読む人だってたくさんいたのだろうから(きっと)、どこから読んでもいいんだと思います。なにかすごいことが起こるわけではないのだが登場人物に魅力がある、なんて言ってしまうと逆にラノベみたいだが、そういうことはなく、ああこのタイプの小説久しぶりに読んだなというタイプの小説だった。手紙皿代わりにしろって言って「ずいぶん乱暴な話だった」とか「うおっでもいかんか」とか、地味におもしろいことを入れてくるのもずるい。結構笑えるところがあるんだよな……。

『フラニーとゾーイー』 J.D.Salinger 野崎孝訳

 なんか前に読んでるはずだけど余り覚えていなかったので再読。途中で思い出したけど前に読んだっていうのは学生の頃に原書で読んで英語難しくてわかってなかったからであろうことに気づいた。ということは再読とは言えないのでは。

 回復の話。最終盤のカタルシスを生む感じに目が覚める。中盤の母親との話もたいがい長いが、「あんたもバディも好きでない人と話をする、そのやり方を知らないのね」のところが好き。

『東京奇譚集』 村上春樹

 村上春樹的短編小説として非常にクオリティが高いのが「ハナレイ・ベイ」。なんといってもこの最後の一段落、一文、というか一単語。こんなのずるいだろう。クソ村上春樹感がほとばしっている。真面目に説明すればこれは英語的なリズムで終わっているところが村上春樹っぽいとかそういう説明をつけることができるかもしれないが、なんかもうそういう次元を超えている。ハナレイ・ベイ。

 後は本当に世にも奇妙な物語的で、そこに村上春樹なりのあざとさ(『うさぎホイップ』と『ほかほかフルムーン』、あるいは品川区のマークの焼きごて)が投入されている良作がそろっていた。

『ナイン・ストーリーズ』 J.D.Salinger 野崎孝訳

 正直話が難しいし翻訳がきつくて読むのが難しかった。こういう文章を読む気力が無くなってしまったのだろうか(昔は読めた気がする。野崎孝訳の作品はいくつか読んだはずだ)。だって登場人物が「チキショウメ」とか言ってるんですよ。チキショウメはないだろ。でも「エズミに捧ぐ」はよかった。とても良かった。

『パプリカ』 筒井康隆

 あーそうそうこういう感じこういう感じ、という感じだった。意味がわからん。

 アニメ映画の方を見てすごく面白かった記憶があるけれど、あれの原作を想像してかつそれを筒井康隆が書いているとするとどういう感じに書かれているのか、というイメージに対して実際書かれていたものがかなり近かった、ということが上の文の意味です。そうだよな筒井康隆が書いたら夢の解釈はそういう感じになるしとりあえずセックスさせとくしラストバトルの会場は別立てだよな、みたいな。

 よく見ると表紙がなんか怖い。

『「鉄学」概論―車窓から眺める日本近現代史』 原武史

御召列車の章と都電の章がとても面白かった。

都電の章では、原先生が学生に「江戸城がどこにあるか知っているか」「皇居前広場に行ったことがあるか」と問いかける話があった。なるほど自分の脳内のイメージ地図では、霞ヶ関と日比谷の駅は直線で結ばれているし、半蔵門も桜田門も門という実体を持たない記号だなと思った。さすがに皇居の位置くらいは把握しているけれども、それは皇居という実体と言うよりも、「このエリアは地下鉄が通っていないから向こう側の駅に行くにはどちらかから回る必要がある」という空間として理解している気がする。地下鉄という装置に乗って、路線図という作り出された世界の上を移動することが、いかに良くも悪くも現実から乖離した営みなのか、ということ。

『卍』 谷崎潤一郎

やっぱり谷崎の音に対するこだわりは恐ろしいほどだと思う。
全編が関西弁で回想の形式で語られる。つまり地の文が関西弁。もちろん登場人物も皆関西弁で喋るから、途中何ヶ所かだけ入る注釈以外は全て関西弁ということになる。
内容としては同性愛を扱っている。ただ、そのテーマ設定自体はもうこの時代にはそこまで革命的ではなかっただろうし、別に描写が過激なわけでもない。でも最後の方なんか、本当に登場人物たちが皆追いつめられて狂ったようになってしまっていて、おそろしい。倒錯と狂気を描くのも谷崎は本当にうまいな、と思う。『痴人の愛』はもちろんだし、『秘密』の女装するところなんかすごく好きで……。そしてこの作品の場合、そこへ持っていくまでの語りがまた、関西弁でされているものだから、独特の情熱感を醸し出しているように思えた。

ところで僕は関西弁をそれなりな程度話せるので、この小説の再生も容易だった(それなりの精度で谷崎の想定したアクセントやイントネーションで読めている、はず)けれど、関西弁を話せない人が読んだ場合と感じ方の差はどれほどあるんでしょうか。そこが気になります。

『蜘蛛の糸・杜子春』 芥川龍之介

文庫を3冊買ったら割引だったから、3冊にするために購入。限定カバーに釣られた(上の画像は限定カバーじゃない)。中身は読んだことある作品が多かったけど、初めてのもあった。年少向けの作品を集めた、と書いてある。

蜘蛛の糸

やっぱり童話的な完成度高い。あと気になっていた元ネタの問題が、この本のあとがきに解説してあってよかった。

犬と笛
初読。これも童話っぽいな。よくできてる。

蜜柑
暫定芥川俺内名作ランキング頂点。ちなみに周辺に「羅生門」「魔術」「杜子春」あたりが入るのかな。あれ、割と全部軽めだな。いやうん、「偸盗」「南京の基督」とか「侏儒の言葉」「骨董羹」とかも好きですが。

魔術
ミスラかわいいよミスラ。谷崎のアレを読んだことが無いのでよまなければと思った。あとは今更気付いたけど、最後のシーンがプーシキン「スペードの女王」に似てる。調べたら影響を受けていたっぽい。

杜子春
元ネタの話を漢文で読んだことがあるのだけれど、仙人的怪しさでいけば原典の方がクオリティは高いと思う。一方、こっちは大人も子供も楽しめる童話的な作品としてかなりレベル高くアレンジされていて、芥川の手腕が楽しめる。

アグニの神
初読。うまいなぁ。なぜこう、ある意味紋切り型の展開(部分的には予想外の展開もあるが)でも面白く書けるのか。古典と紋切り型を研究し尽くしたからなのか。

トロッコ
これはこの本の他の作品と比べると比較的あんまり好きじゃない。いやうまいけど。芥川の文体というか書き方なら、感情は行動じゃなくて言葉で書いても良いんじゃないかと思える。

仙人
小噺だね。

猿蟹合戦
ちょっと皮肉が過ぎるかな。


ナポ公かわいいよナポ公。これもやはり子供に読み聞かせたいような話。うまいこと出来てるなぁ。

『初恋』 ツルゲーネフ

なんというか、完成度が高い。ツルゲーネフの最高傑作とも言われているらしいけど、この一作読んだ限りでは確かにそうなのかもしれないと思う。
最近ロシア文学の有名どころをちょんちょんと読んでいるわけだけど、ゴーゴリ「鼻」「外套」やプーシキン「スペードの女王」が(ストーリーの)技巧的な意味ですごい、おもしろい、と思ったのに対して、ツルゲーネフ「初恋」はストーリーの中身とか描写(翻訳で伝わる範囲)でおもしろいなと思いました。まあ作品の長さ的に焦点がかわってくる、って話でもあるでしょうけれど。

ただ、この本の『あらすじ』として一般的に説明されるし岩波文庫の表紙にも書いてある、「16歳の少年が初めて恋した女性ジナイーダが、他ならぬ少年自身の父と恋に落ちてしまって云々」っていうのからイメージしていた内容とは、実際読んでみるとかなり違っていました。
もっとドラマティック(「劇的」という意味で)な話が進むのかと思っていたんですが、思ったほどは派手じゃないし、主人公は父親を殺したいとか思うほど憎んだりもしないし、苦しみや狂おしさもそこまで激しく出てくる訳じゃないんですよね。半自伝的みたいだから、演出をやりすぎずに書いたのかなぁとも思いますが。でもそれによって、16歳の少年の微妙な心の動きとか、しかもそれを40歳の時点から振り返って記述しているときの時間経過のフィルターとかの感覚がよく表現されていて、面白く読めました。

あとは、こういうのが二葉亭四迷あたりによって日本に入ってきて、日本の自然主義文学に影響したとかしないとかいう話も聞きますが、いわれてみるとそんな雰囲気を感じ取る事ができます。ていうかいろいろ調べてみるとやっぱロシア文学と日本文学って結構関係あるんですね。面白い。